一致する検索結果がありませんでした。
お探しのものを見つけるために、以下の項目を試してみてください。
オラクルの創業者ラリー・エリソンは5月13日、南カリフォルニア大学(USC)の2016年度 卒業生1万2,000人に向けた演説のなかで、自身が社会人になって間もないころに学んだ教訓を説いた。それは、家族や友人が善意からすすめてくれる職業を目指すのではなく、自分自身の夢を追いかけろ、というものであった。
自分がどのような仕事をしたいのかわからないのであれば、「情熱を傾けられる仕事が見つかるまで探し続けることだ」とエリソンは言う。
USCの第133回学位授与式で名誉人文科学博士号を授与されたエリソンは、大学を中退してから世界有数のテクノロジー企業の創業者になるまでの自らの来歴について語った。
学生時代、エリソンは家族や教師から医師になれと言われていたという。当時、医師は「職業の最高峰」と見なされており、彼の育ったシカゴの下位中間層では特にその傾向が強かった。しかし、医学部進学課程で困難な数年間を過ごした後、21歳のときに、自分は医療分野に向いていないことがはっきりとわかった、とエリソンは言う(比較解剖学の授業について、彼は「不毛な精神的拷問以外の何ものでもなかった」と述べている)。
「当時、自分には修行が足りないんだ、自分は身勝手な人間なんだと思っていた」と彼は当時を振り返る。「そのとおりだったのかもしれない。だが理由は何であれ、自分が理想とする人間になることは私にはできなかった。それで、無理してがんばることはもう止めることにした」
時は1960年代。エリソンは荷物――ジーンズ、革ジャン、ギター、等々――をまとめ、車を走らせ、自分自身の道を探すためにカリフォルニア州バークレーへと向かった。バークレーから3時間ほど東へ行ったところで、エリソンはシエラ・ネバダ山脈に出会い、恋に落ちた。「ヨセミテ渓谷の、言葉では言い尽くせないほどの美しさにまいってしまった」と彼は言う。エリソンは自然保護団体のシエラ・クラブに入会し、環境保護主義者となる。そして、春と夏のほとんどの日々をリバー・ガイドおよびロッククライミングのインストラクターとして働いた。
生活費を稼ぐために、週に何日かはバークレーに戻り、コンピュータ・プログラマーとして働くことにした。エリソンはこう話す。「好きというわけではなかったが、面白かった。それに、プログラミングが得意だった。数学の問題を解いたり、チェスをやったりするのと同じような達成感が得られた。数学もチェスも、10代でいろいろと悩み始める前までは楽しんでやっていたものだ」
またエリソンは、バークレーでいくつかの授業を受けていた。そのうちの1つが航海学だ。これがきっかけとなり、彼は航海に対しても、生涯にわたって情熱を傾け続けることになる。こうしてエリソンは、やりがいのある仕事と興味の対象を見つけ、窮地を脱することができたのだった。それでもまだ、家族の賛成は得られなかった。
「しかしそのころには、家族の望むような人間になれないことに対する失望感はなくなっていた」と彼は言う。「彼らの夢と私の夢は違う。その2つを混同することは二度と再びないだろうと確信していた」
オラクル時代
まだ20代であったエリソンは、サンノゼ北部の一角に企業が集中しており(後にシリコンバレーと呼ばれるようになる地域だ)、そこに非常に興味深くやりがいのあるプログラミングの仕事があることを知った。
彼は、当時世界最速のメインフレーム・コンピュータの開発を手掛けていたAmdahlでの勤務を経て、ストレージ分野の先進企業であるAmpexとPrecision Instrumentsで働くようになる。エリソンは仕事に満足していたが、航海と同じくらい夢中になれるソフトウェア・エンジニアリングの仕事はないものかと、なおも職探しを続けた。しかし、そのような職が見つかることはなかった。「それで、自分で作ることにした」と彼は言う。
エリソンは優秀なプログラマーを招集してオールスター・チームを作り、「常識外れのアイデア」を世界最先端の製品――つまり、世界初のリレーショナル・データベース・システム(RDBS)――に変えることに取り組み始めた。当時、リレーショナル・データベースに関するいくつかの学術論文がすでに発表され、IBMの研究室ではプロトタイプの構築が進められていた。しかし、実用に耐えうるだけの高速性を備えたRDBSを構築することは不可能だというのが、当時の一般的な見方であった。
「いわゆるコンピュータの専門家の言うことはすべて間違っている、と考えていた」とエリソンは当時を振り返る。「専門家の言うことはすべて間違いだと口にすれば、最初は傲慢だとたしなめられ、次に、頭がおかしいと揶揄されるだろう。卒業生の皆さんに覚えておいてもらいたいのは、人に頭がおかしいと言われ始めたら、そのときこそあなたは人生で最も重要なイノベーションを起こそうとしているのかもしれない、ということだ。もちろん、本当に頭がおかしいという可能性もあるが」
「自分の場所」を見つける
エリソンは頭がおかしいわけではなかった。彼はオラクルという自らが作った企業で、何かしら新しく興味深いことを日々学んでいったのだった。「新しい仕事はやりがいがあり、魅力的で、私を夢中にさせた」と彼はUSCの卒業生たちに語った。「私は休むことなく働いた。だが思い返してみると、好きでそうしていたわけじゃないことがわかる。あるいは、単に疲れすぎていて、自分がどう感じているのかさえわからなかったのかもしれない。しかし、私は世界の中に場所を見つけた」
こうして、エリソンと彼のチームは、歴史に残る重要なテクノロジー製品を生み出した。それはオラクル・データベース、情報化時代を動かす技術だ。現在、オラクルは世界有数のテクノロジー企業へと成長し、世界145カ国に約15万人の従業員を抱え、42万を超えるビジネス顧客に向けて、比類のない多様なソフトウェア、ハードウェア、サービスを生み出している。
エリソンの家族は、ついに彼が医学部に進まなかったことを許してくれたという。「向上心に欠けると非難されることはもうなくなった」と彼はUSCの卒業生たちに語った。
エリソンは次のような言葉で演説を締めくくった。「絶えず変化し続ける世界で、私たちにできることはムービング・ターゲット(移動する目標)を持つことだ。実験を繰り返し、挑戦することを恐れてはならない。専門家の妨害に怯むことなく、現状に異議を唱えるようにしてほしい」。彼は、「専門家はただのよそ者にすぎない」というマーク・トウェインの言葉を引用した。
そして、さらにこう続けた。「こうあるべきだという理想の人物像ではなく、本当の自分を見つけるチャンスは誰にでもある。ほかの人の夢ではなく、自分自身の夢を叶えるチャンスがかならずあるはずだ」